二つの心

 

 

ラムダ・・・

 

私の心は一つだ

ただ一つの心、愛のみが存在する

愛することだけが、存在する

愛の心だけが、このハートの内にある

 

だが、すべての人々、地球人類がそうであるわけではない

 

人々の心に住んでいる、もう一種類の住民たちの話をしよう

 

人々が生まれたての  まだ、母親の胸に抱かれているころ

その子どもの魂はまだ、純粋で真白き光を放っている

 

しかし、やがて、その子のもといた時間の影響を受けはじめる

おまえたちはそれをカルマとよんでいるね

 

その子がもといた時間は容赦なく、おまえたちを巻き込み、

純粋で真白き魂の光は、その輝きを失いはじめる

しかし、その光が完全に失われることはない

ただ、光が弱々しくなってしまうだけだ

 

 

ラムダ・・・

 

人々の心の中に、新しい住民が引っ越して来るのは、

彼、彼女が言葉を話しはじめた頃からだ

 

はじめは、少し、そして、だんだん、住民はふえはじめる

十歳にもなれば、その子の心の中に移住する住民は、その子の心の中に溢れてくる

 

皆、その子を育てた者や、TVや、その子の通う、学校の人々から

その住民は、人々の心から心へと引っ越して歩くのだよ

 

そして、より若く、新鮮な心ほど、彼らの興味を引く

 

その住民たちは、口々に、自分の意見を主張する

てんで、バラバラに

 

彼らは、家賃を払うでもないのに

まるで自分が大家であるかのように振る舞い、

彼、彼女をきりきり舞いさせる

 

その住民の話は、限りがない

時間がどんどん、失われてゆく

やがて、彼、彼女は

その住民たちの話を聞くために時間を奪われ、歳をとってゆく

 

彼、彼女は、自分が彼らなのか、自分なのか、分からなくなる

そして、ついに自分自身であるのを放棄し、新しい住民に心を明け渡してしまう

 

彼、彼女の心は封印され

その声は住民たちの言い分にすり替えられる

 

しかし、

彼、彼女のハートに、その住民たちとて頑強な鍵をかけることはできない

 

彼、彼女のハートは、たえず動き出そうと準備している

自分本来に立ちもどるために

それは誰のハートにも、愛のエネルギーが濯がれているからだ

 

たとえ、どんな小さなハートでも、

どこかに押さえこまれているハートでも

宇宙を満たしつづける愛のエネルギーは、その存在をみのがさない

 

ハートが愛のエネルギーにふれるその瞬間

いままで移住してきた住民は、立ち退かなくてはならない

もはや、そのハートに彼らが住めるスペースがなくなるからだ

愛のエネルギーがそのハートを満たし始めるから・・・

 

愛のエネルギーにふれるその瞬間、ハートは愛の鼓動を強く打ち始める

 

 

だからね、ラムダ・・・

 

おまえは、むりやり、自分でその住民たちを追い出さなくていいんだよ

おまえは、その住民たちのことを知っている

おまえの心のなかでさわぎたてる……そうだね……

 

よく、おまえがエゴとか悪しき心とか利己的な心とか見栄とか外見とか

認められたい心とかプライドとか自分を守ろうとする心とか

そんな風に考えている心の動きのことだけれど

 

それらを追い出そうとすれば、偽善がうまれる

心のなかに葛藤がうまれる

 

自分でどうしたらよいか、わからなくなるだろう

そして、また、自分の中に

新しい、正しいことと正しくないことを、

善いことと悪いことを造り出してしまう……

 

……もう、いいんだ……

……そういうことは、終わったんだよ……

 

……ラムダ・・・

 

正義も善なる道も、それを追い求めることも!

 

人類は長い歴史の中でそれらを演じ続けてきた

そして、さまざまなドラマを創り出してきた

 

人々は、正義のために戦い、

愛するものと自分とを守るために反目し善なる行いをするために競い合った

 

すべての人類が口々に言ったはずだ

「自分こそ正義だ!自分こそ正しい!

自分の愛こそ、すべてだ!他は間違っている!」と

 

しかし、それはね、ラムダ・・・終わったんだよ

 

人々は、気づき始めている

完全に正しいことは、行われなかった

完全な正しいことは、どこにもなかった

 

正しいことを追い求めても、愛はなかった

 

 

人類は何がほしかったのかな

 

 

…………それは愛だと思います。私はそう感じています。

    私もそうですから…

 

 

そうだね、ラムダ・・・

 

だから、気づいたものからやめなさいね

正しく生きること、正しい行いをすることを

 

正しいということは、愛の行為ではない

愛はハートの内なる衝動だ

何の説明も要らない行為だ

 

愛の行為に説明は要らない

言い訳もいらない、

 

まして、弁解なんか必要ない

 

愛を感じてする行為は、それだけで満たされている

それだけで完結する

 

だから、とてもビューティフルだ

 

愛から発せられた言葉、そして行為には罪は存在しない

 

……本当は、

    宇宙の始まりから、終わりまで

      罪というものすら存在しないのだが……

 

 

人が瞬間的に自分の行為を選択し、

その行為以外に自分が取るべき行動はなかったと感じるとき、

彼、彼女は愛の行為をしている

 

たとえ、その行動が

その時の社会規範、倫理、道徳、法律といったものに

反する行動であったとしてもだ

 

人類は、自分たちの創り出してきたものに縛られて身動きができない

まるで、蜘蛛の巣に絡まった、蝶々のように

 

だからね、ラムダ・・・

 

私にふれるだけでいいんだよ

私のハートにふれるだけで

 

私の名を呼び

私にふれなさい

 

そのときおまえのハートの鼓動は

私の胸の鼓動と一つになり力強く打ち始める

 

それは、

 

………宇宙の黄金のひびき………

 

そして、

 

………新しい世界が旅立つ羽音………

 

 

 

 

 

オーム ボレババ ヒマラヤ セ アオ

------- ババジ、ヒマラヤから来てください

 

ボレババ アオ

------- 私の胸の中に来てください

 

ボレババ カオ

------- 私の願いを聞き入れてください

 

 

 

 

 

Aum  Namah  Shivai

------ オーム ナマ シヴァイー ------

 

Aum  Namah  Shivaya

------ オーム ナマ シヴァヤー ------